Misandry Blog

ミサンドリー(男性嫌悪)なブログです。

「この世界の片隅に」はAVだった

頭がゆるくて適度にエロくかつ地味

映画『この世界の片隅に』を観たので、ネタバレを含むレビューを書きます。原作は未読です。

『この世界~』は「昭和19年(1944年)に広島市江波から呉に18歳で嫁いだ主人公すずが、戦時下の困難の中にあっても工夫を凝らして豊かに生きる姿を描」いた物語。水彩画のようなタッチが特徴の長編アニメです。

この世界の片隅に (映画) - Wikipedia

わたしが『この世界~』をAVだと思う理由は以下の3つ。

1. 男性が萎えるセリフが出てこない

2. フィクション=現実

3. ストーリーよりも雰囲気重視

まず1. 男性が萎えるセリフが出てこない。『SING/シング』というCGアニメ映画に、自分の意志がない頭が空っぽのレッサーパンダ(日本人女性)が出てくるのですが、すずはまさにこの「自分の意志がない頭が空っぽの日本人女性」です。

「自分の意志がない頭が空っぽの日本人女性」は日本人男性が見る幻想でしかありません。AVで女優が演じるのもこの幻想です。物語の中で、すずはAV女優のように決して逆らわず、徹頭徹尾すべてを受け入れます。

登場人物の中で唯一、娘を亡くした義姉の径子だけが負の感情をあらわにしますが、径子は日本人男性の大嫌いな鼻っ柱の強いタイプ。頭がゆるくて適度にエロくかつ地味なすずは男性が萎えることを言いません。

徳を積むなら人柱

次に2. フィクション=現実。映画の中盤、すずの不注意によって憲兵が家に押しかけるエピソードがあるのですが、憲兵が帰ったあと、なぜか径子・姑・夫が大爆笑します。憲兵が家に来たのに大爆笑。

ファンタジー全開なのは憲兵周りの描写だけではありません。すずの境遇は前世で人柱にでもなったのかと思うくらい非常に恵まれています。

貧しい家庭に生まれたリンのように娼妓になることはありませんでした。学校で教育も受けています。夫を含め、義理の家族はいい人ばかり。満州へ渡ることも、軍需工場で過酷な労働に従事することもありません。戦局が悪化しても食事にありつけています。右手は吹き飛ばされたものの、死ぬことはありませんでした。原爆も回避。稼ぎ手である夫も舅も生きています。寝起きしている家は戦火をくぐり抜けて残存。日本人がバタバタと餓死している終戦直後に養子を迎える余裕もあります。

徳を積むなら人柱ですね!

『この世界~』もAVもファンタジー100%ですが、わたしはそのことを批判したいわけではありません。ファンタジーはファンタジーとして楽しめばいいんです。しかし、残念なことに『この世界~』もAVも観客は現実として理解しています。

こちらはAmazonビデオのトップレビュー。

「僕のおばあちゃんが子供のころ」
と聞くととても親近感のある話になるのに、
「戦争の話」となるとたくさんのバイアスが、
それを真っ黒でネガティブでしかないフィクションにしてしまう。

 

まだ20代の僕には到底わからないような、
当時の人々の暮らし、食や恋愛、家族や戦争を、
ただ真っ黒でネガティブなフィクションに断定するのは間違ってる。

 

終戦間近、きっと日本史上最も過酷で、辛い時期だったろうに、
それでもたくましく、笑顔で、強く、美しく生きた人々の物語、
これは僕らのおじいちゃんやおばあちゃんの物語だと思った。

この20代の男性にとって、『この世界~』が「僕らのおじいちゃんやおばあちゃんの物語」になってしまっています。

わたしが『この世界~』を最もAVだと感じ、また最も問題だと思う点がここです。ファンタジーはファンタジーとして楽しんでください。

レベリングに励まれてはいかがでしょうか

最後に3. ストーリーよりも雰囲気重視。『この世界~』は2時間9分の本編が4時間に感じられるほど、日常生活や風景の描写が丁寧な作品です。もしかしたら、脚本を担当した片渕須直監督は小津安二郎のようなことがやりたかったのかもしれません。

でも、小津安二郎のやってることって、カンストしてようやく発動できる魔法だと思うんですよね。片渕監督はまずレベリングに励まれてはいかがでしょうか。

監督のレベルが足りない証拠に、この映画は新たな事実が唐突に明かされます。たとえば、右手を失ったすずがリンを思い出すシーン。すずは右手を失う前にリンと偶然再会しています。リンの出番はこれ以降、ありません。

しかし、すずの回想の中でリンは「誰でもこの世界でそうそう居場所はのうなりゃせんのよ」と言っています。観客にとっては初めて聞くセリフ。二人が再会した時にリンがこんなことを言っていたわけではありません。

観ながら「リンと会ってたの? いつ?」と混乱しました。疑問が解消されることは最後までありませんでした。

終盤でも、すずがモノローグでいきなり「鬼ぃちゃんが死んでよかったと思うとる」と言い出します。「鬼ぃちゃん」とは5カ月前に戦死したすずの兄です。セリフを確認するために字幕を出してみて初めて、「お兄ちゃん」ではなく「鬼ぃちゃん」だと知りました。

いや、マジでお前らの間に何があったんだよ。

すずとダルちゃん

ところで最近、Twitterで『ダルちゃん』というWeb漫画が話題です。

ダルちゃん | 花椿 HANATSUBAKI | 資生堂

主人公のダルちゃんは派遣社員の24歳の女性。自己肯定感がゼロのため、男性が求める「自分の意志がない頭が空っぽの日本人女性」を演じて居場所を得ようとします。

すずとダルちゃんが重なってしょうがない。メタ的な見方になりますが、『この世界~』におけるすずの居場所は「(非常に恵まれた境遇の)主人公」です。その居場所を得るために、すずが「自分の意志がない頭が空っぽの日本人女性」を演じているように見えるんです。

映画の冒頭、幼いすずは迷子になります。子供が見知らぬ土地で迷子になったら、おろおろしたり泣いたりするのが自然な反応ですが、すずは微笑みながら地面を見つめ、じっと立ち尽くしています。まるで人形のような不気味さ。

ネット上で見かける『この世界~』の熱狂的ファンは、すずを神聖視する男性ばかりです。すずは文字通り「偶像」なのでしょう。侮辱を笑って受け流すダルちゃんも偶像です。痴漢やレイプを受け入れてくれるAV女優も偶像です。

わたしはダルちゃんに共感し、すずとレッサーパンダに対して苛立たしさを覚えました。しかし、すずもダルちゃんもレッサーパンダも、自分の居場所なんかないと思わされているだけなんですよね。